2010年12月19日日曜日

スポーツの原点(12)

 勉強で落ちこぼれだけどスポーツでは一番だ、料理を作らせれば人にできないものを作る、どこかで一流であることを正しく評価するなら、より多くの人が誇りを持ち、胸を張って存在できるはずである。スポーツはこのようなことも教えてくれる。今一度スポーツの原点を見直し、スポーツが教育により一層役だってくれることを願ってやまない。

2010年12月18日土曜日

スポーツの原点(11)

 社会でも同じではないだろうか。皆を同じにして落ちこぼれを作らないことに強く固執するのならば、そこでの劣等生は大変つらい思いをすることになる。落ちこぼれを作らないより、気楽に落ちこぼれることができる社会を作る方がはるかに賢明なのではないだろうか。

2010年12月17日金曜日

スポーツの原点(10)

 もう一つ申し上げたいのは、スポーツは受験勉強のように、同じことの競争を勝ち抜いたものが勝利者となるのではないということである。才能に劣ったものでも、個性を生かすことで勝つチャンスはある。特にアメリカンフットボールのように攻守交代制でプレーし、選手交代が自由なスポーツでは、相対的に劣った者でも、このことだけは誰にも負けないというものを身につければ活躍のチャンスはあり、胸を張って存在を主張できる。このような選手が100 人も集まれば、はるかに才能に恵まれたチームにも勝つチャンスは出てくる。

2010年12月16日木曜日

スポーツの原点(9)

 スポーツでは勇気と判断力が不可欠で、加えて直感力、洞察力、協調性、リーダーシップ、厳しい状況にもくじけない精神力も求められる。大切なのは日常の取り組みによって、それらを身につけた人間になることである。また、これらのことは社会生活においても強く求められていることである。これらは机上の勉強からは身につけることは難しく、そこにスポーツの果たす役割があると思っている。

2010年12月15日水曜日

スポーツの原点(8)

 そのようなスポーツでは、自分はこうすると決めるわけにはいかない。何が起きるか、相手はどう出てくるか分からないからである。すなわち一瞬先は分からないのであり、勉強のように正しい答えは存在しないから当然、自らの判断や行動の結果に確信は持てない。その時、不安やちゅうちょは判断や行動を鈍らせる。また、たとえよい判断をしても、行動が弱いと勝つことはできない。人の判断や行動を支配するのは思考ではなく精神である。

2010年12月14日火曜日

スポーツの原点(7)

 陸上競技や水泳競技のように競争するスポーツとボクシング、テニス、サッカーのように対決するスポーツがある。対決するスポーツでは、自分はこうするがお前はどうする、という問いかけをするのである。一般的に知識を習得すればよいというタイプの秀才には、心のキャッチボールの下手な人が多い。ちょっと的を外すと捕ってくれないし、またこちらの欲しいところへボールを投げてくれない。心のキャッチボールは社会性の原点ではないだろうか。チームワークも、ゲームの時の相手との駆け引きも、これである。

2010年12月13日月曜日

スポーツの原点(6)

 スポーツでも、うまくなった時のことは、なってみなければ分からない。自己意識とは基本的に観念的なものであり、禅の修行に代表されるように、いくら理屈でそう思おうと思っても思えるものではない。いくら優れた指導者でも優れた選手を造ることはできない。優れた選手になるのは、その選手自身のことである。しかし、アドバイスを与え、環境を整えてやることで5年かかるところを3年にすることはできる。重ねて申し上げるが、何をするかより自分はどんな人間かということの方がより重要である。