2010年12月14日火曜日
スポーツの原点(7)
陸上競技や水泳競技のように競争するスポーツとボクシング、テニス、サッカーのように対決するスポーツがある。対決するスポーツでは、自分はこうするがお前はどうする、という問いかけをするのである。一般的に知識を習得すればよいというタイプの秀才には、心のキャッチボールの下手な人が多い。ちょっと的を外すと捕ってくれないし、またこちらの欲しいところへボールを投げてくれない。心のキャッチボールは社会性の原点ではないだろうか。チームワークも、ゲームの時の相手との駆け引きも、これである。
2010年12月13日月曜日
スポーツの原点(6)
スポーツでも、うまくなった時のことは、なってみなければ分からない。自己意識とは基本的に観念的なものであり、禅の修行に代表されるように、いくら理屈でそう思おうと思っても思えるものではない。いくら優れた指導者でも優れた選手を造ることはできない。優れた選手になるのは、その選手自身のことである。しかし、アドバイスを与え、環境を整えてやることで5年かかるところを3年にすることはできる。重ねて申し上げるが、何をするかより自分はどんな人間かということの方がより重要である。
2010年12月12日日曜日
スポーツの原点(5)
今の我が国の教育は知識取得競争であり、それに勝ち抜いた者が良い大学へ入れ、良い企業に就職できる。そこでは知識を得ることのみに価値観があり、それによってどんな人間になるかは全く問われていない。ここに最大の原因があるのではないだろうか。
2010年12月11日土曜日
スポーツの原点(4)
教育とは何を学ぶかより学んだことによってどんな人間になるかということだと言われる。今の選手も決して不熱心ではない。工夫もしているし、何を身につけるかという努力もしている。なのに、その努力によって自分はどんな選手になるかという意識が希薄であるように思える。
2010年12月10日金曜日
スポーツの原点(3)
我々の目的は、受験勉強ばかりしてきた運動劣等生の集団が優れた運動選手の集まりである強豪チームに勝つことである。多少優れたノウハウがあってもそれだけではダメであり、何より一人一人がある程度優れた選手になることが不可欠である。
2010年12月9日木曜日
スポーツの原点(2)
しかし、どうしても今時の…が出る。昔はコーチといってもお手伝い程度で選手は皆自分がやるのだ、自分のチームだという意識が強かった。ところがコーチが充実し、優れた方法論が確立されてくると、いつもこうすればよい、という答えが用意されるようになる。そうなると、与えられたことをその通りやればよいと考えるようになり、なぜそうなのかを追求しなくなる。もっとも、多少熱心な者なら、このプレーはどうすべきか、なぜそうするのか、くらいは考える。
2010年12月8日水曜日
スポーツの原点(1)
京都大学アメリカンフットボール部監督・水野弥一氏より
古来、今時の若い者は、ということはいつの時代も言われてきたようである。私もその例に漏れないのかもしれないが、考えてみると、我がチームは一昔前より明らかに良い成績を収めているのだから、今時の若者の方が優れているのかもしれない。もっともその間、私自身も成長しているし、チームの基盤も整ってきており、特に私の下で仕事をしてくれるコーチは最大の強みであり、昔はなかったものである。
古来、今時の若い者は、ということはいつの時代も言われてきたようである。私もその例に漏れないのかもしれないが、考えてみると、我がチームは一昔前より明らかに良い成績を収めているのだから、今時の若者の方が優れているのかもしれない。もっともその間、私自身も成長しているし、チームの基盤も整ってきており、特に私の下で仕事をしてくれるコーチは最大の強みであり、昔はなかったものである。
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